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Amakuchiが好きなことを書いてるブログ

さよなら平成,バイバイ令和

2019年5月16日。
祝日でもなければ何かの記念日でもないし,大事な誰かの誕生日でもない。

私ことAmakuchiが久しぶりにブログを再開した日である。
静かな,それでいて特別どうというわけでもないこの日の夜に,なんとなくブログを書きたくなった。
ただそれだけのことである。

習慣というのは怖いもので,忙しさにかまけてブログの更新を先延ばしにしていたら,すっかり5月になってしまった。
最後に書いたのが1月だった気がするので,もう4ヶ月も経ってしまったということになる。

その間に何があったかというと,特別なことは何もなかった。
強いて言えば,元号が代わり,平成から令和になった。
ただそれだけのことである。

令和になるとき,人はこぞって新しい年号を話題にした。
やれ他の候補はなんだっただの,やれ誰が考案しただの,様々だ。
令和にちなんだ社名をつけたり,令という字を子どもに付けたりすることが増えたりしたらしい。
それでは,何か変わったのだろうか。
おおよそ,多くの人は同じことを言うだろう。「何も変わってない」。

もちろん,天皇家での変化はあった。それによる,外交の変化もあるだろう。
だが,我々一般市民にとって,何も変化はない。当たり前と言えば当たり前である。
元号は1つの枠組みであり,枠組みが変わったところで,その中身は同じなのだから。

ただ,なんとなく。なんとなく,やりきれないような,もどかしいような,言葉にできない虚無感が,時折襲ってくることがある。
平成から令和に変わるその瞬間,大きく変わったことは特にない。
だが,歴史が変わる瞬間は,「歴史が変わるのだということ」を無慈悲に突きつけてくるものであった。

人はそれぞれ,思い思いに日々を過ごしている。
ただ,大きな刺激がなく似たようなサイクルで繰り返される毎日は,小さな錯覚を作り出す。
この日々が,ずっと続いていくのではないかと。

だが,実際は違うのだ。大きな変化はなくとも,小さな変化は少しずつ,少しずつ世界の在り方を変えていく。
昨日の私と今日の私は,それがすぐにはわからなくとも,確実に何かが違うのだ。
時間は進んでいる。止まることはない。
そして過去は,いつしか人々の記憶の中から薄れ,消えていく。
繰り返される日々の中で,それを意識する機会はそう多くはないだろう。
だからこそ,先の5月1日,新元号へと変わる瞬間,人はそれを知ったはずである。「歴史は変わるのだ」と。

私は今,茫洋とした暗い海を彷徨っているような身の上である。
頼る光は月明りしかなく,どこをどう進んでいるかもわからない。
だからこそ,過去を振り返り,今の自分の位置を確かめようとする時がある。
そして,その過去がどうしようもなく眩しく,もう手に入らないものであることにも気づくことがある。
ゆえに,時間が流れるというどうしようもなく当たり前な感覚が,恐ろしくもなってしまうのだ。

2019年5月16日。令和になってから2週間ほども過ぎた。
私を取り巻く世界は平和で,大きな事件は何もない。
だが,ゆっくりと,確実に,世界はその形を変えていく。
私はそれに抗うように,こんなとりとめもない記事を書いたりしているのだ。

令和の世になり,平成を弔う声は聞こえなくなった。
平成は過去になり,やがて忘れられていくものとなる。
だが,令和も同様である。そう遠くない未来,同じように惜しまれ,同じように弔われる。
そして未来の誰かの,過去となって褪せていくのだ。

時間は流れていく。今もこうして流れていく。
だから今という時を忘れないように,この時間をブログという形で刻もうと思う。

さよなら平成。君は過去になった。
そして,バイバイ令和。いずれ君も過去になる。

今日というこの日,僕は確かにここにいたのだ。
それだけをなぜだか,書き散らしたくなった夜であった。
でも,投稿日時は朝にする。
理由はない。なんとなくそうしたかったのだ。

Amakuchi